紀州備長炭に関する著書はご存知のように、非情に多く出回っているのが現状です。よって、次にご紹介 する文面は、当社の判断基準により真実性が高いと思われる図書から一部を抜粋し掲載致します。
『「紀州備長炭」は、和歌山県が世界に誇れる林産物・高級木炭として、その長い歴史の中で育 まれてきました。日本に白炭を焼く技術が伝わった歴史の一つとして、本県高野山を開かれた弘法大師が遣唐 使とともに唐に渡り、その技術を日本各地に伝えられたとも言われています。
紀州備長炭は,1200年ほど前、熊野地方で焼かれていた熊野(ゆうや)炭が起源とだといわ れ、その後長きにわたって熊野地方で焼かれ、江戸元禄時代に改良されて備長炭の製炭技術が確立したと伝えられています。』図書名:紀州備長炭 発行者:和歌山県 発行日:平成18年11月
備長炭の命名については、いろんな説が・・・
『東京・大阪の一流うなぎ蒲焼店には「紀州備長炭使用店」というケヤキの分厚い板に深堀りし た看板が掲示してある。このごろは、備長炭といえばうなぎの蒲焼屋さん専門の燃料になってしまった気配が あるが、いろいろの料理店にも使われている。
だが、うなぎのような脂の多い生臭さ臭の強い魚肉を焼くには、備長炭はぴったりの燃料で、 備長炭といえばうなぎ屋、うなぎ屋の燃料といえば備長炭ということになってしまった。
ところで、「備長炭」という名は、備中屋長左衛門が作ったので、その名がついたという説 がある。また、万治年間、紀州北牟呂郡の炭やき・大津市右衛門が改良したという説もある。(田中長嶺 「散木利用編」(一九0一)が、元禄年間、備中屋長左衛門が発明したというのが通説になっている。
樋口清之博士によると、備中屋長左衛門は紀州・田辺藩城下町の炭問屋で、享保十五年か ら嘉永七年までの一二四年間に四人存在し、この炭問屋の扱い商品を備長炭と名づけたというが、備長 炭は田辺市の東、秋津川村(今は田辺市の一部)付近の多くの炭やき師により改良されたものであるこ とには間違いない。
備長炭は、一般の白炭よりきわめて硬質で、燃料性がすぐれている。この備長炭をやくに は二つの条件が必要である。一つは備長がまを使うこと、もう一つは炭材にウバメガシを使うことである。』図書名:木炭の博物誌 発行者:岸本定吉 第4刷発行:1999年2月26日 【岸本定吉】